25 May 2018

今回は、女性起業家であり、数々の子どものための施設を経営している木村希さんの結婚(旦那・子供・年収)や会社、マレーシアでの評価ついてなど見ていきたいと思います。
小さいお子さんはいますか?
小さいお子さんの遊び道具やベビーグッズはどこで買っていますか?
小さいお子さんとはどこでいつも遊んでいますか?
日本にいればお子さんの遊ぶ道具、ベビーグッズ、遊び場に困ることって少ないですよね。
家はもちろんですが、公園もありますし、大人と一緒に遊べるといったらお金はかかりますけど、プレイランドやカラオケかってあります。
一生の思いでに記念写真を撮ろうと思ったらフォトスタジオなんかはそこらじゅうにありますよね。
そんな、子ども向けのテーマパークやフォトスタジオ、ベビー用品販売をマレーシアで設立したのが木村希さんです。
では、今回はなぜ日本ではなくマレーシアで子ども向けの事業を始めたのか、木村希さんについてお話していこうと思います。
では早速。
木村希の今現在や武勇伝
木村希さんは、1988年生まれです。
出身は、秋田県出身で、育ちは仙台で、かなり田舎の方で暮らしていたそうです。
高校は仙台西高校に入学し、卒業します。
大学は、山形大学に進学します。
2010年の大学在学中に5つ星ホテルのインターンとして、マレーシアに初来訪します。
それがきっかけでマレーシアで起業をします。
大学卒業から3ヶ月後の2011年の12月に子どもの遊び場「Jkids Malaysia Playground & Kids Party」1号店をクアラルンプールに開設して、起業家デビューを果たします。
この「Jkids Malaysia Playground & Kids Party」は、3年間でマレーシア国内8店舗まで拡大させました。
そして、2015年にクラスター・ベラドンナを創業し、最高経営責任者(CEO)に就任します。
次に、日本とマレーシアを結ぶイベントやツアー、婚活事業を開始するとともに、マレーシア国内初のファミリーカラオケ「Jparty Karaoke & Party Room」立ち上げに参画しました。
子供向けフォトスタジオ「Jphoto」も設立します。
また、2016年にはメードインジャパンにこだわったベビー&家庭用品専門店「PARADISE」を新たにオープンします。
また、木村希さんは、AERAの「アジアで勝つ日本人100人」に選出されるなど、とても注目を浴びている女性起業家の1人です。
※関連記事 |
木村希の会社や評判はどうか?
木村希さんが経営する会社の評判はどういった感じなんでしょうか。
もちろんマレーシアで起業されているので、その評判は日本人ではありません。
木村希さんが1番最初にオープンさせた屋内型の遊び場「Jkids Malaysia Playground & Kids Party」ですが、なんと3年連続でマレーシア・ベスト・キッズプレイグラウンド賞を受賞しています。
これだけでもその評判の高さが高いとわかります。
また、この「Jkids Malaysia Playground & Kids Party」にはパーティールームがあります、このパーティールームは当初作る予定はなかったのですが、地元の方の一言がきっかけで作られたそうです。
その言葉が、「パーティールームはあるの?」という質問です。
日本では子どもの誕生日パーティーを、外で、大勢を招いて祝う習慣はありません。
しかし、イギリス文化の残るマレーシアではよく見られる光景で、レストランの一角やマクドナルドのパーティールームなどで子どものバースデーパーティーが開かれていました。
でも、レストランでの食事だけでは子どもたちはすぐ飽きて走り回り、大人たちもゆっくりできないという現状がありました。
地元の人のその一言がきっかけで、慌てて遊具の配置を変えて仕切りを作り、オープンになんとか間に合わせるようパーティールームをこしらえたそうです。
それが高評価を生み、パーティールームは毎週末予約でいっぱいになっているそうです。
それだけ評判がいいということです。
このことについて木村希さんは、「パーティに呼ぶピエロやマジシャン、フードや様々なアクティビティ、それらも全てお客様からの要望に応えてきた結果、Jkidsはマレーシアの人々のおかげで、成長してくることができたのです」と話しています。
木村希の結婚や旦那・子供はどうなの?
木村希さんには子どもは男の子が1人います。
出典https://www.huffingtonpost.jp
ブログなどを見ても旦那さんのことは全く話していないし写真もないので旦那さんはもしかしたらいないかもしれません。
しかし、マレーシアでの子育てはとてもしやすいと話しています。
出産に関しては、医師からの注意や指導がなくストレスがないと話しています。
日本だと体重や食事、飲酒などの制限がありますが、そのようなことはなく、妊娠中も自由に過ごせていたみたいです。
また、育児に関しても、周りのサポートも受けやすく、マレーシアでは近所の人やメイドさんなど、みんなで育てることが当たり前らしく、仕事と子育てがとても両立しやすいという話しをしています。
※関連記事 |
木村希がマレーシアに移住している理由は?
木村希さんは大学在学中、漠然と将来は臨床心理士として地元秋田県で働こうと考えていたそうです。
しかし、大学3年生のとき、臨床心理士になるまでの長い道のりとその金額の高さに現実を知りました。
そんな中、心理学の熱が冷めていってしまいます。
そして、バイトを7つもかけもちするというバイト生活が始まります。
しかし、大学4年生のときその生活にも疲れてしまい、どこか1度暖かいところに住んでみたいと思い、5つ星ホテルの日本人対応のゲストサービスのインターンシップとしてマレーシアに行きました。
マレーシアを選んだ理由は、インターンシップの斡旋会社にたまたまマレーシアを進められたからだそうです。
そして、マレーシアの空港に着いた瞬間にビビビッと来たそうです。
フィーリングを信じ、「私はここで生きていこう」と、その時点で決めたそうです。
マレーシアで過ごしながら、「私はここで名を残したい」とアピールしてるうちに、ビジネスパートナーも見つかったそうです。
またマレーシアで就職を考えなかった理由が、就職活動をしている自分が想像できないし、行動もできない、周りから取り残されていく感じがあったそうです。
そこから逃げだしてアジアへ飛び出した、ということもあり日系企業への就職は全く考えていなかったそうです。
英語もまったくできなかったので外資系への就職は難しいかなと思っていて、大好きなマレーシアで暮らすためには起業するしかなかったんだそうです。
また、なぜ子ども向けの施設を作ったかというと、「マレーシアが大好きで、外国人の私を受け入れてくれたこの国に恩返しをしたい」という気持ちでいたら、自然と見えてきたそうです。
最後に
どうだったでしょうか?
木村希さんのこと少しはわかってくれたでしょうか?
将来に不安しかもてなかった大学時代、適当に決めたインターンシップ先のマレーシアに恋をして、一生を過ごす場に決め、起業した木村希さん、その成功の原点はやはりマレーシアへの恋心だと思います。
将来に不安しか持てなかった自分を寛大に受け入れてくれたマレーシアという国に恩返ししたい、そんな気持ちが木村希さんを突き動かす原点になっていると思います。
日本人ながらマレーシアという国で起業をした木村希さ、これから木村希さんがマレーシアでどういったビジネスを展開していくのか、またマレーシアと日本をどういった形で繋げていってくれるのか、気になりますし、注目していきたいと思います。
以上、女性起業家であり、数々の子どものための施設を経営している木村希さんの情報をお届けしました。
最後までご覧いただきありがとうございました。
関連記事は下をスクロール!