20 Oct 2018

今回は、HARESのCEOであり、複業研究家の西村創一郎さんの経歴やWIKI、年収や結婚(嫁・妻・子供)、高校や大学、講演会についてなど見ていきたいと思います。
あなたはたくさんの仕事をしていますか?
おそらく普通に働いている人は複数の仕事をしてはいないと思います。
その会社、企業でのみ仕事をしていると思います。
学生などでアルバイトをしている人ならアルバイトを掛け持ちしたりする人はいるかもしれません。
でも、最近では副業もOKという企業が増えてきましたね。
しかし、まだまだ副業も社会全体には浸透していません。
そんななか、複業研究家という肩書を持つ人がいます。
それは、西村創一郎さんです。
複業とは、本業と副業のことを指します。
では、そんな複業研究家の西村創一郎さんとは一体どういった人なのか、また西村創一郎さんがCEOを務める株式会社HARESとはどういった会社なのか詳しく見ていこうと思います。
では、早速。
西村創一郎の経歴WIKIやプロフィール
西村創一郎さんは、1988年生まれです。
出身は神奈川県出身です。
高校は地元の高校に入学し、卒業します。
大学は、首都大学東京都市教養学部法学系に進学しました。
また2009年からNPO法人ファザーリング・ジャパンに参画し、現在は最年少理事を務めています。
そして大学卒業後の、2011年に新卒でリクルートキャリアに入社します。
この会社は、先輩の紹介で出会ったそうですが、「社会をこうしたい」という私欲で仕事をしている人ばかりという印象を持ったそうです。
そして、そんなスタイルに自分もビジネスで貢献できるのでないかと思い入社を決めました。
しかし、現実は甘くなく、実際に入社してからは仕事に苦しんだそうです。
そして、本業の傍ら2015年に株式会社HARESを創業します。
起業後は、仕事、子育て、社外活動などパラレルキャリアの実践者として活動を続けたきました。
そして、第三子となる長女の誕生をきっかけに「通勤をなくす」ことを決めます。
2017年1月にリクルートを退社し完全独立します。
独立後は「週休3日」というスタイルを築き、家族と過ごす時間を倍増させることを1番に考えました。
そして、複業研究家として、働き方改革の専門家として個人・企業・政府向けにコンサルティングを行っています。
また、講演・セミナーの実績も多数あり、2017年9月からは「我が国産業における人材力強化に向けた研究会」(経済産業省)の委員を務めています
西村創一郎の年収や資産はどうなのか?
副業研究家である、西村創一郎さんの年収はいくらなんでしょうか。
独立する前は普通にサラリーマンとして働いていました。
その時は年収で500万ぐらいだったと思います。
もしかしたらもう少し少ないかもしれません。
独立した今現在は、かなり多くのセミナーや講演をしています。
そんな西村創一郎さんの年収ですが、おそらく500万円から800万円の間ぐらいではないかと思います。
週休3日にして家族との時間を保つために独立したのもわかりますが、お金がなくては生活は出来ません。
ですので最低でもサラリーマン時代の年収が確保されている状態で退職をしたと思います。
しかしながら知名度はまだ少ない西村創一郎さんです。
講演会やセミナーがあったとしてもそこまで高額な単価ではないと思います。
もちろんこれから有名になっていき仕事も増えてくれば講演の単価も上がってはくると思います。
また、資産に関しては貯蓄ぐらいだと思います。
どちらにせよまだまだ若い起業家です。
これからどう化けていくかですね。
西村創一郎の結婚(嫁・妻)と子供はいてるのか?
西村創一郎さんは、現在結婚されていて、子供もいます。
初めに子供が出来たのは、19歳の大学1年生のときでした。
周囲からはバカップルと言われるほど彼女が好きで結婚を考えていたので、産む以外は考えなかったそうです。
そして、彼女の親に土下座をして出産の許可を得ます。
その後、出産し、結婚します。
第一子が生まれた後も順調に第二子、第三子と産まれ、3人の父親になります。
また、自分の少年時代はかなり厳しく、小学6年生の時に両親が離婚してしまい、専業主婦だった母親は、生保レディの職を得て西村創一郎さんと妹2人を育てたそうです。
しかし、慣れない仕事に母子家庭の苦労も重なり、母親はうつ病を患い働けなくなってしまいまいた。
生活は困窮し、生活保護の申請もしましたし、学校に行かない時間が長くなり、当時は高校進学もあきらめて働くつもりだったそうです。
そんな少年時代もあり、いい父親になろうと頑張ったそうです。
西村創一郎の出身高校や大学はどこ?
西村創一郎さんは、高校は地元の高校に進学しました。
しかし、家庭の悩みは絶えずとても大変な思いをしていたそうです。
しかし、西村創一郎さん自身は前向きに過ごし、もう一度サッカーも始めるようになりました。
また、もともと、勉強自体は嫌いでなかったのもあり、高校ではしっかり勉学にも励み、都内の公立大学の法学部に進学することに決めました。
そして、首都大学東京都市教養学部法学系に入学し、人生の夏休みを満喫しようと、サークルやバイト等、キャンパスライフを楽しんでいたそうです。
しかしそんなとき大学1年の夏休みの最後の日、付き合っている彼女との間に子どもができたことが分かりました。
産む決断をし、彼女の両親にあいさつに行きます。
彼女の親には、「大学を辞めて就職して、死ぬ気で働いてふたりを養います。」と、ひたすら懇願し、土下座もしたそうです。
しかし、両親は反対しました。
その反対とは、中途半端に大学を辞めるのではなく、しっかり卒業してから就職をして、家族を養いなさいという言葉でした。
そし、結婚、出産、就職し、今現在に至ります。
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