今回は、株式会社じげんの代表取締役社長である、平尾丈さんの経歴や年収、天才なのかどうなのか、結婚(彼女)や高校、大学についてなど見ていきたいと思います。
あなたは、色々な情報をどうやって手に入れますか?
昔なら求人なら求人の本や雑誌、自動車なら自動車の本や雑誌を購入したりフリーペーパーを手にとったりしたと思います。
もちろん今でもそのような情報は本でもフリーペーパーでもあります、
でも、今の世の中はインターネットが普及しています。
色々な情報も情報サイトが提供しています。
インターネットを使えば好きなときに好きなように自分の知りたい情報を手軽に手に入れることが出来ます。
そんな情報サイトを企画運営しているのが、株式会社じげんです。
株式会社じげんの代表取締役社長を務めているのが、平尾丈さんです。
では、そんな株式会社じげんとはどういった会社なのか、また、代表取締役社長である平尾丈さんとは一体どういった人なのか詳しく見ていこうと思います。
では、早速。
目次
平尾丈(じげん社長)の経歴プロフィール
平尾丈さんは、1982年11月25日生まれです。
出身は、東京都出身です。
中学校と高校は、海城中学校・高等学校入学し、卒業します。
中学校・高校時代は得意のゲームで数々の大会に参加して優勝してきました。
大学は、慶應義塾大学に進学し、環境情報学部に入ります。
大学在学中には、ITベンチャーを複数立ち上げて、東京都主催の学生起業家選手権で優勝もしています。
大学4年間はまさに起業にすべてをかけていたそうです。
また他にも、有名企業の会社員、政治家、起業家など、1万人強の著名人に会うための企画を自ら実施したりもしていました。
かなり精力的に起業家としての道を進むために努力をしていました。
そして卒業後は起業した会社の代表取締役を兼任したまま、新卒でリクルートに入社します。
リクルートでは人事部を経て、じげんの前身となるリクルートの関連会社であるドリコムジェネレーテッドメディアの立ち上げに参画します。
リクルートグループの最年少取締役として同社に出向、そして、2008年に同代表取締役就任します。
2010年には、MBOにより完全独立させ、社名を株式会社じげんに変更し、株式会社じげんの経営に専念するために、学生時代に立ち上げた会社の役員を退任します。
2011年には、ソフトバンク株式会社・孫正義代表の後継者発掘プロジェクト「ソフトバンクアカデミア」に合格もしており、2013年11月に、東証マザーズに上場を果たしました。
平尾丈(じげん社長)の年収や資産はスゴいのか!?
平尾丈さんが代表取締役社長を務める株式会社じげんは、2006年に設立し、2013年11月22日に東証1部に上場しています。
資本金は5億31百万円、売上高は2016年で50億31百万円、純資産は36億43百万円、総資産は88億47百万円、従業員数が197名という会社です。
そんな会社の代表取締役社長である平尾丈さんの年収や資産はいくらなんでしょうか。
まず年収ですが、会社の規模、売上高から推測するとおそらく5,000万円から7,000万円ぐらいではないのかなと思います。
また資産ですが、平尾丈さんは株式会社じげんの株を22.98%保有しています。
株式会社じげんの株価はだいたい700円前後ですので、それらを考えるに資産8,000万円ぐらいではないのかなと思います。
もちろんこれからこれ以上に業績が伸びてくれば資産も、年収も上がってくると思います。
しかしながら今はこれぐらいではないのかなと予想します。
平尾丈(じげん社長)の結婚や彼女はどうか?
平尾丈さんは現在結婚はしていません。
しかし、なんと平尾丈さんは、上場してすぐの2014年度に某女優の人と結婚したんじゃないのかという噂が出ました。
しかし、平尾丈さんはその女優とは面識すらなかったそうです。
また、噂が噂を呼び勝手に「平尾丈、結婚して離婚したらしいよ」みたいな話も出ていたそうです。
なぜそんな話が出てきたのかはわかりませんが、週刊誌が報じたようですね。
誰かが嘘の話を提供したんですかね。
どちらにせよ平尾丈さんにも週刊誌にも迷惑な話だと思います。
また現在彼女もいないみたいです。
顔もとても整っていて男前ですから彼女なんてすぐに出来ると思います。
しかし、作らないところを見ると、やはり今は仕事が最優先なのかなと思います。
この若さで代表取締役社長ですから絶対に多忙というのは目に見えていますよね。
平尾丈(じげん社長)の学歴や高校大学はどこ?
平尾丈さんは、中学校、高校は海城中学校・高等学校に入学しています。
この学校は中高一貫教育です。
著名な出身者として、三菱自動車工業社長・会長の益子修さん、前田建設工業創設者、社長・会長・名誉会長の前田又兵衛さん、高島屋社長の木本茂さんなどがいます。
そして、大学は慶應義塾大学に進学し、環境情報学部に入っています。
大学時代は勉强はもちろんのことですが、起業に本当に一生懸命になっていたそうです。
また自ら困難なテーマを決めてそれを次々とクリアしていきました。
しかし、それはとにかく努力のたまものだったと平尾丈さんは話します。
「1万人に会おう計画」ではアポを取るためにその人の会社の問題点を100個考えて持っていったこともあったそうですし、リクルート時代には実働時間だけでも世界一だと思うくらい働いたそうです。
学生のうちからそこまで自分自身に課題を設けていたのは、幼い頃があったからだと話します。
平尾丈さんの祖父は製造業を営んでいましたが倒産してしまい、家計が一気に圧迫したそうです。
そんな中平尾丈さんは、家で時間つぶしのためにひたすらプリントを問いていたそうです。
自力で100点を取るまでは終われない、間違えたら正解がわかるまで諦めずに考え続けなければならない、そういう癖が学生時代の行動にも表れて自ら難しい課題を出すようになったそうです。
そしていつしか、「量をこなすと質が高まる」という量質転換の法則を実感できるようになったそうです。
平尾丈(じげん社長)の今後の経営戦略や将来像は?次のページへ!
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