中村利江の高校大学は高岡? 実家は富山!?旧姓はなに?講演会やセミナーも人気!

外食産業の起業家

今回は中村利江(なかむら・りえ)さんの高校大学はどこで、結婚した旦那や子供の存在は?実家は富山なの?旧姓はなに?講演会やセミナーをシェアしていきたいと思います!

中村利江さんは現在、出前館の会長として手腕を発揮していますが、学歴などのキャリアや夫はどんな人物なのか?結婚前の旧姓の名前は何なのかプライベート的なことがあまり公表されていません。

 

独自で展開している講演会やセミナーのことも、詳細があまりないので、ここではそんな中村利江さんの全容をシェアしています。

 

では早速。

【出前館会長】中村利江の出身高校は高岡か?大学はどこ?

出典https://www.youtube.com

出身高校は『富山県立高岡高等学校』です。富山では御三家と呼ばれる、県内有数の進学校(偏差値68)で、政治家や学者、作家などを多数輩出しており、有名なところでは、藤子不二雄Aさん、正力松太郎さんなどがいます。

部活は、中学から続けていたバレーボール部に所属し、中村利江さん曰く「(親の教育方針が厳しく)母から常に勉強しなさいと言われ、勉強から逃れるために部活を続けていた。強い部ではなかったが、練習は一生懸命やっていた」とのこと。

 

恩師の大塚先生は当時の中村さんについて、

「利江さんの学年はセッター以外、全員が高校からの初心者。最も統率力と身長がある彼女に、キャプテンかつエースとして頑張ってもらおうと思って、練習もハードにやりましたね。他の選手は私と利江さんと、監督が2人いるような気がしたんじゃないですかね(笑)」

と語っています。

 

また中村利江さんは、大塚先生の言葉「プロボクサーが試合前に大口を叩くのは、注目度を上げてモチベーションを高めるため。自分から仕掛けなかったらすぐ負ける」が今も頭に焼きついており、【人生も同じで、自らアクションを起こさなければいけない】と、人生や勝負の駆け引きを教わったとのことです。

出典https://newspicks.com/

この頃から強いリーダーシップや責任感、何事からも自分の人生に取り入れる、高い向上心が窺えます。

 

進学は「小さな頃から、家を出たい、早く自由になりたいと思っていた」ため、絶対に県外の大学へ行こうと考えていたそうです。

 

受かる自信は無かったが、両親へのポーズとして国立お茶の水大学とすべり止めの私立大学をいくつか受験し、関西大学の文学部へ進学します。

旧姓はなに?

出典https://newspicks.com/

アウトサイダーからの情報によると、実家の情報なども含め、結婚が30年以上前だから? 旧姓も中村??個人的に気になりますが、旧姓のインプレッションがどうだったのかは今のところ不明ですね。。

 

ただ、これだけ会社が大きくなれば経歴や旧姓などはとうぜん公表されていてもおかしくないんですが、インプレッションがないのは、「旧姓=中村」の可能性も否定できないと言うことでしょうか?

 

逆を言えばですが。。

中村利江の実家は富山か?

出典https://www.jprime.jp/

実家は富山県高岡市。実家は、地元でも有名な工務店を経営されており、父親は経営者。

 

父親に代わり家を守る母親はとても厳格な方で、中村利江さんは三姉妹の長女として、きびしいしつけと、勉強をしっかりしなさいと言われ続けてきたそうです。

 

門限はずっと夕方6時で、習い事はソロバン週2日とピアノ・書道など、ほぼ毎日。

 

実家は裕福であったことから、小学生時は家族でスイスなどへ海外旅行に行き、母親からアルプスの少女ハイジのような、ひらひらしたワンピースなどを着せられたりしていたそうですが、当時は周りに海外旅行に行く子もほとんどおらず、男の子たちからけっこういじめられていたそうです。

中村利江さんは「幼心ながら、一刻も早くこの家から逃げ出したい、なんて思うことが何度もありました」と当時を振り返っています。

一方で、実家には政治家や経営者・銀行員や職人など、色々な大人が出入りしていたため、様々な人物を観察し、「実務をしていないブローカー的な人が儲けているんだ」など、社会の縮図を見た気がした、と語っています。

また帳簿をつける母親を横目で見て、中学生の頃には自分でもつけられるようになっていたようです。

 

親への反発心や家庭環境から、早くに独立心が芽生え、お金を稼ぐこと、会社を経営することに興味を持ったのかもしれません。

 

それでも将来は商売人になる気持ちは一切無く、医者になりたかったそうです。

中学生時は、親からガールスカウトへ入れと勧められますが、入ってみると「今までと違い、キャンプなどへ行くと、色んなことを自分でしなくてはならない」ことが新鮮で、意外に肌に合ったそう。

 

ボランティアの募金活動では、「せっかく集めるなら、しっかり作戦を立ててたくさん募金を集めよう」と、可愛い女の子はおじさんに、かっこいい男の子はおばさんに声をかけるよう仲間たちに指導し、かなりの額を集めることが出来たとのこと。

 

う~ん…恐るべし中学生です・・

中村利江は現在結婚してる?旦那や子供はいる?

出典https://www.mbs.jp/

現在ご結婚されており、旦那さんと息子さんがいます。

 

旦那さんは中村利江さんと同じ時期に、関西大学に通っていた方です。

 

中村利江さんは大学生時には、いつも講義に遅れてくる男子学生の「かわいい女の子が毎朝起こしてくれたら、遅刻なんかしないのに」というぼやきをヒントに、女子大生を3000人程かき集め、月3000~5000円のモーニングコール事業や、人材派遣業を起業します。

出典https://news.line.me/

また3回生時には、リクルートが発行していた雑誌『ハウジング』編集部でアルバイトを始め、ほぼ毎日フルタイムで働いていたことから、大学の授業にはほとんど出席できず、旦那さん(当時は彼氏)が、よく代わりに出席していたそうです(いわゆる代返)。

 

その後中村利江さんは、大学卒業後にリクルートへ正社員で入社しますが、東京に配属となり、関西の旦那さん(まだ彼氏)とは遠距離恋愛になります。

 

「大阪に戻りたい」と会社に志願したところ、上司から「営業成績で300%を達成したら大阪に帰してやる」と言われたそうですが、緻密な計画を立て、なんとこれを達成!

 

入社1年目にして会社のMVPまで獲得してしまいます。

 

恐るべし愛の力と、行動力・・

 

その後念願の大阪へ異動し、すぐに旦那さんと結婚。

 

その数ヵ月後に妊娠が判明しますが、当時は世間的にも産休や育休への理解が無かったため、「キッパリ辞めて、家事や子育てに専念したほうがいい」と考え、リクルートを退職します。

 

翌年、25歳の時に息子さんをご出産されます。

 

育児をしながらも、インテリアコーディネーターの資格を取得し、家業の手伝いで、モデルハウスや注文住宅の設計をしながら、古巣のリクルートで、住宅情報などのライター業に携わっていたそうです。

 

更に主婦業の合間にデパ地下などを回り、「中食の時代が来る」と直感した中村さんは、育児が一段落すると1998年に、ほっかほっか亭の運営会社にはいります。

半年後には営業企画の課長に昇進し、後に部下70人を率いたり、仕事で東京と大阪を行き来するハードな時期もありましたが、息子さんとは

■一緒にいる時間はいっぱい話をすること

■お弁当は必ず冷凍食品ではなく手作りすること

の約束を守り続けたそうで、授業参観や運動会、更にはママさんバレーにも参加しており、母親の鑑以上の、スーパーな母親だな・・と思います。

 

息子さんが小学生の時に、仕事で取引があった『現・出前館』へ引き抜かれ、取締役社長に就任。3年で黒字化させ、取締役会長へ。

 

その後TSUTAYAの運営会社の取締役執行役員を経て、現在の現職へ復帰し、大阪大学のセミナー講師なども勤められています。

 

息子さんは社会人となって独立し(既に結婚済み?)、中村利江さんは旦那さんと、趣味のスキーやスキューダイビングを楽しんでいるとのことです。

講演会やセミナーも高い人気

出典https://corporate.demae-can.com/

彼女の名言的な一言は、「ピンチをチャンスに!」があります。

 

コロナの影響で生じたこれまでになかったデリバリーのビジネスモデルをコンセプトに、プレゼンテーションを行い日本だからできる飲食業事業システムのリスクがコロナ禍で確認されたいま、日本最大レベルのデリバリーサービス「出前館」の事業形態で地方をパワーアップして景気の回復を期待しています。

 

その中でも、シリアスな勝算を獲得してもらおうと全国規模で頻繁に講演会やセミナーをやっております。

出典https://kofucci.or.jp/

主な講演会やセミナーの参加対象者は、

■開業や今までになかったビジネスの実現化にチャレンジしてみたい方

■新しい事業や新規グッズを開発して発信したい方

■デリバリービジネスに関心があり、アグレッシブにトライしたい方

■経営者のメッセージをダイレクトに肌で感じて、己の意思でビジネスをしたい方

このような参加者を呼びかけています。

 

元々、成功のバックグラウンドには、ウェブならではのオリジナリティーの応用、生活者のニーズに向けた今までになかった事業モデルプロダクトが内密にされており、他にはズバリ言うと、こういったものにチャレンジするバイタリティーとなる、ブレルことのない経営哲学がある会社組織だけが実績を上げています。

 

彼女が起業した当初も、やりたての頃は赤字続きであった経営も2億円の借金ごとバトンタッチし、己の才能でメジャー企業に押し上げた彼女に、その哲学からくるアドバイスが得れる講演会となっています。

 

今後も不定期ではありますが、セミナー等を行うと思いますので要チェックです。

 

ご活躍を期待しましょう。最後までご覧いただきありがとうございます。

他の外食産業の起業家の記事はコチラ!

他の関連記事は下をスクロール!

コメント