ココシャネルの性格や若い頃が伝説的美人!結婚した夫やナチスとの関係がナゾ?

外国人起業家

今回はココシャネルの生い立ちから性格、若い頃が伝説的美人だったことをピックしていきたいと思います!

ココシャネルと言えばブランドで有名ですが、実はキャリアの中で結婚した夫やナチスドイツとの深い関係があったことはご存知でしょうか?

 

香水や、ブランドばかりに目が行ってしまいがちですがココシャネルほど、ミステリーで謎な歴史人物はいないんではないか?と言っても過言ではないですね。

 

その真相に迫ってみたいと思います。

ココシャネルの生い立ちや伝説がスゴすぎる 

出典https://shae-bear.com/

シャネル「No.5」……と聞いただけで、ほとんどの人がココシャネ ルの香水をイメージできるでしょう。それだけ、世界中の多くの人 にインプットされてることの証しになりますね。 

 

1883年フランス南西部オーヴェルニュ、ソミュールにある慈善病院で誕生したココシャネル。

 

ガブリエル・シャネルとは誕生時のネーミングです。彼女が12歳のとき、母親を病で亡くします。ココシャネルは姉、妹、 弟たち合わせて5人きょうだい。

 

母親を亡くしたことで、それぞ れ、農家の養子にだされたり、孤児院や修道院に入り育ちました。 いまの時代では考えられませんが、当時はごく当たり前のことだったようです。

 

孤児院とは家計が貧しく、生活が維持できない家庭のために、子どもを保護する施設です。

 

孤児院での生活は、ココシャ ネルにとって、みじめ以外のなにものでもなかったことが、のちに、孤児院での生活をいっさい口にすることが無かったことからうかがえます。

 

孤児院での生活は、18歳までです。ココシャネルは、 18歳になると、カトリック女子寄宿舎に入ります。 

出典http://phi-grid.com/

ココシャネルは修道院で学んだお裁縫をいかし、フランスの田舎町 にある洋服店で仕事を始めます。その傍ら、ムーランの娯楽場で歌姫としてのアルバイトをはじめ、人気を集めます。

 

この娯楽場で出会った繊維業者の息子であるエティエンヌ・バルサンと付き合い愛人となります。この生活で経験した乗馬が、のちの、シャネルの デザインに大きな影響を与えることになるのです。

 

この時ココシャネルは23歳。

 

この時期に、彼女はバルサンの友達であるボーイ・カペルともお付き合いを始めます。イギリスの上流階級のお金持ちだったカペルは、ココシャネルのために、パリのアパートに部屋を借ります。

ココシャネルは恋多き女だった?

出典https://www.vogue.co.jp/

バルサンとカペル、両者との関係を保ちながらも、カペルの援助で、服飾デザイナー・裁縫師としてお店を持つことになります。

 

1913年ごろからはじめた帽子専門店ですが、1918年には新店舗を オープンするほどに。このときには、帽子だけでなく、洋服、アク セサリー、カバン、香水などをあつかうお店……いまの時代でいえ ば「ブティック」を展開していきます。

 

ティエンヌ・バルサンとボ ーイ・カペルとの生活が、「シャネルブランド」を生みだしたとい っても過言ではありません。

 

現代の女性たちが愛してやまない、 「シャネルスーツ」「リトル・ブラック・ドレス」「シャネルバッ ク」「シャネルジュエリー」「シャネル香水」どれをとっても、ココシャネルが生みだしたデザイナーとしての証しでしょう。

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ココシャネルとして名だかい「シャネルNo.5」ですが、1920年夏 頃に、調香師エルネスト・ボーに、香水の試作として頼んでいた中 のひとつで、サンプル品「5番」のものだったこと、そして、ココ シャネル自身がラッキーナンバーを「5」と考えていたので、ついた名前でした。

 

この「シャネルNo.5」、香料の種類や香水びんにいたっても世界を変えた歴史的香水であったことはいうまでもありま せん。

ココシャネルの性格はキツかった? 

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「キライ」という心の声を一番にすることで、キライなものをなく すことに、エネルギーをそそぐ人だった、ココシャネル。

 

ただ一人の女友達、ミシアですら、彼女のことを、「攻撃力の高い 感情と、激しくするどい批判をもつ女性である。けれども、過度な 打ちこわしが、逆に、人をひきつける」というほど。

 

いまの時代で あれば、間違いなく炎上対象の発言。

 

例えば、ミニスカート→肉体をさらけ出す、ふくよかな胸→大きすぎるなど。とにかく、つつみ隠さず、思ったことはストレートに言葉を発したようです。

 

服作り でも、当時の上流階級の夫人が身につけていた洋服や、宝石に対し ても、お金持ちを見せびらかすようであることを嫌がり、宝石はイ ミテーションジュエリー、ゴージャスなドレスではなく、当時、喪服・制服の色であるとされてた、黒を基調としたシンプルなブラックドレスを作りました。

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流行はおいかけず、自分自身がモデルとな り、着心地のいい、動きにフィットする素材を使い、よけいな飾り はけずって、あくまでもシンプルをポリシーに服作りをしました。

 

そんなココシャネルですが、きびしい面だけの人ではありませんでした。

 

友人を通じて、交流のあった芸術家の人たちの貧困を知る と、仕事で得たお金をロシアバレエ団などの芸術活動、文化事業へ 多くの寄付をしてきてます。

 

このことが、ココシャネルの社会的地 位を高めることになりました。 

若い頃が超美人だった! 

出典https://kamakura-kenbutu.com/

外人のひとだから……という理由だけでなく、超美人です。

 

美人と いう言葉は、ココシャネルのためにあるといっても過言ではないでしょう。 

 

ココシャネルのお相手として、数おおくの男性の名前があがります が、年表に表せるぐらいおおいことが、彼女のキレイさを物語っています。

 

とにかく男性との恋愛期間にすき間がないのです。ともすると、同時期にかさなってる方も。そんなココシャネルのはじまり はというと、歌が好きだった彼女は、縫い子の仕事をしながら、ア ルバイトでショーパブ(娯楽場)のステージでうたを歌います。

 

容姿たんれいなココシャネル、もちろん売れっ子でした。

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彼女のおはこが「トロカデロでココを見たのはだれ」だったことから、題名の 一部である「ココ」というニックネームで呼ばれるようになったと いわれてます。

 

ただ、もう一つのいわれとして、子どものころ、父親に「ココ」「かわいいココ」と呼ばれていたから説もあるようです。

 

売れっ子の歌姫だった彼女、田舎のステージでは満足できず、 都会のステージを目標にします。

 

1906年、ヴィシーでステージにチャレンジしますが、夢は叶いませんでした。その理由ですが、ココ シャネル、スタイルはよかったのですが、歌が下手だったんですね。

 

ただ、このステージに上がれなかったからこそ、のちのココシャネル誕生に繋がるのです。

 

超美人のココシャネル といえば、忘れ てはいけないのが、シャネルのモチーフでもあります「カメリア」 です。

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彼女の最愛の人、アーサー・カペルが、ココシャネルにプレ ゼントした花、それが白いカメリアだったんだそう。

 

フランス南西部のゴジャックにはツバキ専門農園があり、やく2000種のツバキを ジャン・トビ氏が管理されてるそう。

 

これまで20年間にわたり、 シャネルとともに、研究をつづけられてるそうです。白椿……花言葉は「申し分のない魅力」「完ぺきな愛らしさ」。椿は日本で古くから愛されている花木です。 

結婚した旦那はどんな人物だった? 

ココシャネルに結婚願望はありました。ただ、縁がなかったとしか、いいようがありません。 

 

ココシャネルが最も愛した人「父であり、兄であり、家族そのも の」「彼こそが私が愛したただひとりの男」といわれたアーサー・ ボーイ・カペル。この方は、1919年12月交通事故で他界。

出典https://ameblo.jp/

その後 の交際相手は、ココシャネルの唯一の友達であるミシア・セールが 「ココが生まれて初めて人を愛している」というほど恋してたお相手で、1930年代に出会った、ポール・イリーブだったのですが、 1935年フランスのリビエラにあるココシャネルの別荘でテニス中に 倒れ亡くなってしまいます。

 

結婚の約束をしていた二人でしたの で、深く長く悲しみから抜け出せずにいたとのこと。

 

ココシャネル が結婚を……と思う方は早くに亡くなられてしまってます。 そんなココシャネル、とにかく、男性との縁がとだえない女性なのです。 

 

恋愛から結婚をまとめると、

■1903年20歳⇒繊維業の息子、エティエンヌ・バルサンに出逢い、愛人としていながら上流階級の人たちとの交流を深める。 

■1909年26歳⇒バルサンの友達である資産家のアーサー・ボーイ・カペルに出会い、深い仲になる。パリに住まいを用意してもらい住み始める。

■1920年37歳⇒パリで作曲家ストラヴィンスキーと交際。 

■1921年⇒フランスの詩人ピエール・ルヴェルディと交際。 

■1923年⇒ヴィラ・ベイト・ロンバルディによって、ウェストミンスター公ヒ ュー・リチャード・アーサー・グローヴナーに紹介され10年間交際。 

■その後⇒ ロンバルディを通じてエドワード8世(プリンス・オブ・ウェール ズ)に紹介されます。エドワード8世の方が、ココシャネルを好き になり、ウェストミンスター公との交際をしりながら、ココシャネ ルを追いかけたんだとか。 

■1931年⇒フランスのイラストレーター・デザイナーのポール・イリーブとの交際。 

■1940年⇒ドイツ外交官ハンス・ギュンター・フォン・ディンクラーゲ男爵と交際。 

多くの人との交流をもち続けたココシャネル。

 

第二次世界大戦中は、ナチスの諜報員であることが明らかになっています。

 

出典https://jp.sputniknews.com/

1945年か らスイス・ローザンヌのホテルに住み、母国であるパリにがいせんできるときを待ち、1954年、パリに戻ります。

 

ココシャネル71歳、ファッション界にカムバックします。

 

15年もの間があり、はじめはぜんぜん売れることがなかったのですが、一年後にアメリカで評価されることになります。 

 

そんなココシャネルですが、87歳で人生の幕を閉じるときそばにいてくれたのはメイドの方だけだったそうです。 

ナチスドイツの諜報員だったの!?

ココシャネルはナチスドイツの占領時代、ドイツ人男性と親密な関係でもあり愛人でもありました。

 

相手の身分はディンクラーゲと言う名前で、ドイツ国王の身内でもあり皇族の息子でもありました。

出典https://artsandculture.google.com/

彼女はまさにこの息子にハマってしまい、彼がどんな人物なのかはこの時点では気づく余地もなかったそうです。

 

相手の正体は、ドイツ諜報局の諜報員でもあり、ココシャネルも彼に協力的だったと言うことから、いつしか彼女自身もナチスドイツの諜報員としての身分になっていた。

 

この黒い風説は真否が見破れないまま、そのあとも長く話題に上り続けた。

 

ただ、後に当時のドイツ軍の深部でもあったデータからは、フリーエージェントの身分でココシャネルの名前があったそうで、諜報員ナンバープラスコードと一緒に記録されていたのは事実でもありました。

出典http://blog.livedoor.jp/

つまり、ココシャネルは、ナチスドイツのれっきとした諜報員と親密な関係だっただけではなく、彼女自身がドイツ軍のモノホンの諜報員だったとされています。

 

かなり意外なストーリーですね。。

 

こんな過去があったにも関わらず、「シャネル」と言うブランドは現在も全世界から売れているわけですから

 

彼女のデザインは芸術のレベルに達していると言っても過言ではないですね。

 

ご冥福をお祈りします。

最後までご覧いただきありがとうございます!

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