『創業者がヤバい!』餃子の王将/一族&長男⇒次男坊の正体とは!?

外食産業の起業家

今回は餃子の王将の創業者(加藤朝雄)一族や長男&次男坊の正体に迫ってみたいと思います!

餃子の王将には「創業者」の一族との関係性や身内同士との謎がいくつかあると言われています。その中でも創業者の長男である「加藤潔」と次男である「加藤欣吾」との存在になります。

 

色んな闇説が組織ぐるみの中であると噂されているようですが、果たして一族との関わりや、この長男と次男にはどのような人柄や過去があるのか?を見ていこうと思います。

餃子の王将/創業者は「加藤朝雄」と言う人物!何者なのか・・

出典https://www.youtube.com/

創業者の加藤氏は1924年に福岡県飯塚市の貧困集落に生まれ、生家は鮮魚店で生活は貧しかったと本人の後のインタビューで判明しています。

餃子の王将・創業者/加藤朝雄

9歳になると家計を助けるために働き、様々な仕事をしたそうです。その頃から毎日、自分は大金持ちになって家族に美味しいものを食べさせてやり、楽をさせてやると誓っていたと語っています。

 

加藤氏は飯塚尋常小学校を卒業すると本格的に働くようになり、1941年17歳で中国大陸・山西省に渡りました。山西省では先に長兄が飲食店を経営していたのが理由でした。

 

ここで初めて加藤氏は餃子に出会いました。

その後、加藤氏は一旦、洋食を勉強する為に帰国しますが、1944年に徴兵をうけ満州に勤務し、終戦を迎えます。

 

1947年に日本に戻った後は、料理店勤務、行商人、等様々な経歴を重ね、薪炭商を始めたころに梅子夫人と知り合い結婚、2人の息子にも恵まれました。

 

ですが、加藤氏が経済的に安定を迎えるのは40歳頃になってからで、それまでは厳しい状態が続き、時には大きな借金を背負うこともあったそうです。

餃子の王将

1967年、加藤氏が京都に餃子の王将の第一号店をオープンさせた頃には43歳となっていました。第一号店をオープンしてから3年で王将は6店舗にも成長をしていました。しかし、わずかな間で大きく成長していた王将は大きな壁にぶつかっていました。それは人材難です。

 

この、人材難を立て直したのが前社長の大東隆行でもあったんです。そして、大東隆行が店長として最大限リスペクトしていた店長こそが的場強になります。この時の苦労話を加藤氏はこう振り返っています。

「この世で使いにくいのは運転手と職人です。腕がある分定着しない。給料か何かに不満があると直ぐにやめてしまう。」

ここで加藤氏は従業員にこう言ったそうです。

「これまで以上に儲けた分は、売上金はみんなにくれてやる。みんなで仲良く分けろ」

すると従業員のやる気に火が付き、店の売り上げもぐんぐん伸びていったそうです!

店舗を拡大した後の1974年、資本金500万で株式会社王将チェーンとして会社組織に変更し、加藤氏は代表取締役となりました。

 

加藤氏のバックには「解同のドン」と呼ばれる部落解放同盟中央執行委員長の上杉氏がいたと言われています。上杉氏は飯塚市の隣町の出身で、加藤氏の同郷だったことから関係が築かれたとされています。

上杉氏

加藤氏が王将の全国展開に乗り出す際、上杉氏が口利きし、数百億円を工面したことは有名な話です。加藤氏と上杉氏は一心同体の絆で結ばれていました。その関係は上杉氏の死後は上杉氏の異母弟の昌也氏に引き継がれました。昌也氏は44年生まれで、上杉氏とは25歳の年齢差があり、親子ほど年が離れていいます。

 

このように深い絆があった王将は福岡センチュリーゴルフクラブの支援を惜しまなかったと言います。王将フードサービスの第三者委員会が16年に公表した報告書によると、91年から96年までの間に、6回、王将との取引先で構成された親睦団体『王将友の会』との親睦ゴルフ大会を福岡センチュリーゴルフクラブで開催されていました。この『王将友の会』の設立発起人は昌也氏だったそうです。

餃子の王将・創業者一族を徹底リサーチ

次に簡単に餃子の王将の創業者一族についてご説明します。創業者の加藤朝雄氏には妻に加藤梅子夫人、長男に加藤潔氏、次男に加藤欣吾氏がいます。

餃子の王将・創業者/一族

加藤朝雄氏については上記で説明した通りですが、妻の梅子夫人は4代目社長の大東隆行氏の姉です。加藤氏は義弟の大東隆行氏が20歳の時に王将へ働かないかと誘ったそうです。

 

次に長男で3代目社長の加藤潔氏と次男で経理部長兼役員だった加藤欣吾氏がいる。

餃子の王将・創業者/長男

加藤氏が亡くなった後、『解放同盟』とのパイプを引き継いだのは、加藤氏の長男で3代目社長の加藤潔氏と次男で経理部長を兼務していた専務の加藤欣吾氏でした。

餃子の王将・創業者/次男

昌也氏は後にこう語っています。95年に住専問題が起こり、中坊公平弁護士が率いる住宅金融債権管理機構から50億円の返済を迫られました。

 

昌也氏はギブアップする覚悟を決めたそうです。その後、加藤氏の次男で「王将」の経理部長兼専務だった欣吾氏に、「もう、お手上げですよ」と、電話で愚痴をこぼしてしまいました!

その2日後、欣吾氏から「それくらいだったら、うちでなんとかします」と、50億円を工面してくれたのです。地獄で仏とはこのことだと思ったそうです。。

餃子の王将/創業者の長男の名前は「加藤潔」!

@ytvnews#餃子の王将 」社長射殺 警察が創業者の長男を任意で事情聴取 直前に不適切な取り引きに関する報告書 #tiktokでニュース #読売テレビニュース ♬ オリジナル楽曲 – 読売テレビニュース

次に創業者の加藤氏の長男である加藤潔氏についてご説明いたします。1993年に加藤氏が逝去すると息子の加藤潔氏が社長に就任し、3代目社長になりました。

 

創業者一族とは加藤氏の親族で、ほぼロクなのが居ないというのが世間の評価になっていました。。

餃子の王将

加藤潔3代目社長は素行が良くなかった上に、加藤氏から「解放同盟」「非合法組織」の人脈を受け継いだとされています。

解放同盟関係者や組織に乱脈融資を行って400億円以上の借金を作り業績を悪化させましたが、株主である創業者一族に地位を守られていました。この頃から前社長である大東隆行は不信感をつのらせていたのかもしれませんね。。

餃子の王将・創業者/長男

加藤潔氏は乱脈融資と業績悪化で評判が悪く、2000年に社内クーデターを起こされることとなり、社長の座を追放されることとなりました。

特に1999年に加藤氏の出身地である福岡のゴルフ場や、解放同盟の関連企業に89億円を貸し付けたことが問題になりました。

だがこうしてみると問題になった融資は初代の加藤氏が始めた事業や人間関係で、どれも加藤潔3代目社長が始めた訳ではありません。

 

この創業者の呪いとも言える、受け継がれてきた非合法組織との繋がりは後にとんでもない事件を引き起こすこととなります。

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餃子の王将/創業者の次男坊の正体を調査

出典https://www.youtube.com/

次に創業者の加藤氏の次男である加藤欣吾氏についてご紹介します。加藤潔氏は王将社長射殺事件のキーマンと目されている人物です。

餃子の王将・創業者/次男

餃子の王将・創業者/次男

お金の流れについて、王将の経営陣と昌也氏の主張はまったく異なっていますが、この時のお金の動きを把握していたのが加藤欣吾氏です。

 

報告書は「昌也氏側と総額260億円の不正取引をしていた」と明かしていますが、昌也氏はゴルフ場について50億円の借り入れは認めたものの、全体の金額については、「王将側が金額を水増ししている」と反論しました。

餃子の王将・創業者/次男

王将側の窓口は次男の加藤欣吾氏でした。彼がお金の流れを知るキーマンであることで、関係者の認識は一致してきました。

ですが、加藤欣吾氏は東南アジアなど海外に拠点を移してしまっており、帰国のめどは立っていません。捜査当局は加藤欣吾氏の聴取を突破口に全容解明にこぎ着けたいとしていますが、欣吾氏は捜査本部が求めた任意での事情聴取をいったんは拒否しました。

 

その後、京都地検が求めた任意での事情聴取には応じ、事件への関与を否定しました。

餃子の王将には創業者の「闇」があった噂が・・

餃子の王将・創業者/闇

加藤氏は福岡県飯塚市の貧困集落出身とされていますが、福岡県飯塚市の貧困集落出身とされていますが、京都に来るまでの正確な経緯は解っておらず、闇社会と深い繋がりがあったとされています。

 

王将創業者の「闇」とはこれまで出てきた「解放同盟」、「非合法組織」等の闇社会との人脈と言われています。

 

加藤氏は集落出身である事から解放運動を支援するスポンサーになっていて、解放運動と関わりがあったとされており、解放同盟や非合法組織に、トラブルの仲介を依頼していたとも言われています。

さらに加藤氏は戦時中満州に出兵していた際に中国人社会との繋がりもできたとされており、王将は店内では中国語で注文を通していて、単なる中華料理好きでは無いと想像できます。。^^:

 

こういった人脈が王将の歴代経営者には良い意味でも、悪い意味でも脈々と引き継がれていき、最終的にはあなたも知る「王将社長射殺事件」へと繋がることになるのですね!

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